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あたまの中のはなし

なににもならないことをこねくりまわすだけ、学がないです

ギャラリーに来たおじさんの話

おじさんに絡まれただけのことでも、ひとり思索するネタとして持ち帰ってしまう。ある退屈なおじさん曰く、「しがない学生の創作物は意味がない。歴史学や心理学には意味がある。(意訳)」らしい。


「意味がある」っていうの、なんなんだろう。意味があることだと思って何かをやれば必ず意味を持つんだろうか。誰かが意味があると思っていることが私には何の意味も持たないこと、誰かが自分のためだけに作る何かや言葉を勝手に私にとって意味あるように受け取ってしまうこと、両方いくらでもある。


ちなみにこれ以降、とりあえず生きることを自ら放棄することなく、なんの疑いもなく生きていく前提の話になっています。


意味とお金をイコールで結ぶなら、私は、意味のない即ち金銭の発生しない営み無しには生きていけないと思う。でもこれは感情論。

言わずもがな今この世にあって人間として暮らすには金銭と全く無関係ではいられないので、意味がある即ち金銭を生み出すことができる営みも必要。

でも金銭のみに意味を求めていたら、労働以外の時間は何も意味を持たない虚無になる。生きてる間の大半が虚無と化してしまう。それか、ワークライフバランスがヤバくなって廃人みたくなる。そんで結局、虚無エンド。そんなのはいやだ。なんでかはわからないけど。


金銭から離れてわかりやすい意味を考えてみる。

生物的に必要不可欠なもの?生命維持には食と睡眠、繁殖には性行為が必要なので、三大欲求はただの欲ではなくて意味あるものと言えるかもしれない。住まいや衣服は、特別なものは要らないけれど、今日本で暮らすという前提をとりあえず据えておくと、それなりに必要なんじゃないかな、ホームレスにも雨を凌ぐ橋がある。面倒だから今回は細かい社会性的なところは無視します。この国での生命維持に必要な、最底辺レベルでいい、捕まったりしないレベル。捕まるとかそういう制度も面倒だしできるだけ無視したいけど。


衣食住に睡眠(住と被るのかな)、性行為、あとは何だろうな、「意味」っていう定義が曖昧すぎてこの時点で微妙だけど私には普遍的に見出せる「意味」はこれくらいしか浮かばなかった。

確かに絵を描いたり歌を作ったり表現をすることは直接的にこれらの「意味ある」行為たりえない。性的欲求にコミットする創作物は突き詰めると絶対必要ではないからとりあえず一旦置いておく。睡眠導入音楽とか、寝具もね。

生きるのお役立ちアイテムという立ち位置の物事は須らく二の次と見なしていますいまのところ。


一旦置いておいたそばからひっくり返していくと、絶対必要なものだけの生活圏で一生を暮らすってどんなだろう。

私達が呼ぶところの発展途上な地域、紛争の絶えないエリアにはそれに近いものがあるのかもしれない。と、思ったけれど、でも違うだろうな。どこに行ったって音楽からは逃げられないし目に見えるもの触れるものの多くが誰かのうみだした造形であるには変わりがない。また風呂敷を広げ始める自分がいるので畳んでまた日本に戻ります。すこし目を離すとこうだから困る。


私は私でしかないので、他人については推し量るしかできないけれど、私自身について言えば「必要でない」絵や色を排除し、音楽を聴くこともメロディをふと口ずさむこともないまま一生を全うしようとしたら、青年期あたりで気が狂って死ぬと思う。一生が一瞬。いやまあ案外200歳まで生きるかもしれませんね、そんなのわかんないけどさ。

でもきっとあのおじさんだってそれなりに好きな絵があったり歌があったりするんだと思う。おじさんにとって「意味がある」絵や歌も存在すると思う。これは根拠のない憶測でしかないけれど今生きててそんなもの皆無で生きる方が難しいと思う。またこういうことを言い始めるとややこしくなるな。でもそう思う。とりあえずそう思っていること前提にさせてください。


でもあのおじさんはキッパリと「ただのいち学生(将来何をするかもよく知らない)がつくるものは総じて意味がない」と言うような物言いをした。確かにおじさんがこのままあと何年生きるか知らないけどその余生に、「意味」を持つのかは怪しい。少なくともご飯になったり家になったり服になったりはしない。

でもおじさんが言う「意味」はなんかそういう意味じゃないように感じたので、「意味」とはって色々考えている。おじさんに言われずとも前からそういうことを考えることはあったので、水を得た魚というのか、勝手に話のタネにしてここぞとばかりこんな文章を書き散らしている。


さっき性的欲求にコミットする創作物と言ったけれど、三大欲求に限らず細分化されてもう何とカテゴライズして良いかもわからないような無数の欲求があるわけで、それらにコミットするものを考えれば途端に「意味ありげなもの」に分類できそうなものは増える気がする。何かにコミットすれば「意味」があるのかは私もよくわからないけど、そういう紐付けみたいな風に考えないと、どこかしら地面に繋がってないとフワフワしてそれこそどうしようもない議論にしかならないので、そういうことにさせてください。

コミットする対象が、広く、より立派そうであるほど「意味」あるものである、というような考えのおじさんなのではないかな、と私は推測している。正直年寄り特有の聞き取りにくい発語であんまり具体的にこんなことを言っていたと挙げられないんだけど、ニュアンス的にはそう感じた。完全主観。

より立派そうというのは、生物的に、社会的に必要なランク上位入りできそう、みたいな感じで、医療とか、教育とか、経済とか?なんかわかんないけど、お世話になんないと生きてけないやつ。教育にもおじさんは言及していたけど(おそらく教育の道に進む人も学生さんの中にいたとか、そういう流れで)、あんまり聞こえなかったから詳しいことは考えない。そういう立派そうな順番でいくと、芸術は多分低いんだと思う、おじさん的には。低いながらも多分だけど、有名なアーティストは立派な部類なんだと思う。それで飯食えるんならさ、という感じで。私には創作物に順番をつけるスキルがないので少し難しいがなんとなくそう汲み取った。

いよいよおじさんの言う「意味」がわからなくなってくる。医者になると言う人に「そんな意味のないことを!」とか言う人は100人のうちに1人もいないかもしれない、多分いない。いたら僻みっぽく感じる。でもいても別にいいと思う。でも絵を描いていますと言えば、話は全然違うと思う。100人に聞いたらゲンナリしそうだし聞かない、なので何人が意味がないと詰るかはわからない。


でもおじさんに限らず、私は大学に入って演劇に関わるようになったことを言うと、かなりの人に似たような反応をされてきたのでなんとなくわかる。「演劇になんの意味があるの?」と聞かれたらわからない。そんなの古代ギリシャとかの人にでも聞けば、とかちょっと思うけどそれは流石に考えることを放棄しているだけだ。でも実際そんな直接的な言い方をした人はまだなく、1番スタンダードなのは「女優になるの?」「役者になるの?」だ。主観とは言え九分九厘当たっていると思うが、大抵は好奇の目線が含まれている。この質問は結局は「それ意味ないよね」とほぼ同義のところに行き着くものだ。

彼らの言う「意味」がない演劇はあくまで、しがない学生が青春しながらやってるもののことで、テレビドラマのお芝居や映画、ミュージカルへの否定ではない。素人がいっちょまえに演技をしているところには意味がないと言いたいのだと思う。

なぜ演技するのかとか、演技ってなんなんだろうとか、そういうことは別でもっと思うところ考えることがあるので、ここで適当に書くのはやめておきたい。考えるのが結構面白い、この命題。


ところで「意味」がないと詰る人たちの8割くらい(私見)は、私たちのつくるものをほとんど見ずにそう言っている。



さて、「意味」って本当になんなんだろうなあ。

論拠のない感情論みたいなものを振り翳せば、そういうものが精神的側面に作用していて生きるために必要になっているんだよ!とかなんとか、そういう言い方になるけど、それは言語化すればするほどボンヤリしてしまうというか、難しい。



逆にめちゃくちゃ限定的で具体的に考えてみようと思う。私の半径何十センチの話。


今日は早起きができた。朝ごはんは卵にマヨネーズと塩コショウを混ぜて、ほうれん草入りの炒り卵にした。ウインナーもいくつか焼いた。昨日の晩に剥いておいた文旦を食べて、ニチアサをゆっくり見、身支度をして外に出たらめっきり春だった。ぽかぽか陽気ながら風はまだ冷たいのでコートは冬物だったけれど、気持ちはなかなかすっかり春で、駅までの徒歩15分は最近お気に入りの音楽を聴きながら、とてもよい散歩をした感じになった。差し入れのお菓子は何がいいかな、とスーパーをうろうろしたのち電車で一駅、初めて降りる駅は楽しい。友人とお喋りしていたらすぐに目当ての場所に着き、先輩方の卒業展示をみた。ジャンルは色々で展示のみならず身体表現のパフォーマンスもあり、作品数はこぢんまりとしているけれど、気づいたらずいぶん長居をしていた。そろそろ、と友人とギャラリーを出て、駅までの道で会った先輩と楽しいお喋りをして、駅で友人と別れて電車に乗った。一駅だけど、考えてみれば普段乗らない方向で、海が近くて手前に工業地帯のある景色が横に流れる車窓は新鮮味があってよかった。

この駄文の中に、他の人がいくつ意味ある要素を見出せるか知らない。でも私にとってはこれは完璧な時間だったので、「意味がある」と言えることかもしれない。

簡潔にまとめたけど、卒業展示は確かに(ちっとも内容を見ていない)おじさんが言うように「わからない」ところもあったと思う。人のつくる絵や造形、身体表現の意味を全部さらうのは無理だ。でもまあ、これいいなあ、結構好きだなあ、これ見てたらあれを思い出したなあ、この色いいなあ、これはこういうの考えてこうしたんかなあ、あーなんか絵描きたくなるなあ、音楽やりたいよなあ、なんか作ってちゃんと見せれるのって案外大層なことよなあ…とか、断片的な感想のようなものは浮かぶ。これが「意味」かと言われると違うのかもしれない。が、何かのきっかけになったり、気づきに繋がったり、それは作った人の望むところでないかもしれないけど何かしら橋渡しのような、どこかにある「意味」というものへ間接的に運ぶ経験にはかなりなり得ると思う、私は。


作り手がプロなのかそこいらの一般人であるのかは、「意味」を考えるなら尚更関係のないことだと思う。やっぱり人のつくるもの、考えたことに他人が批評を加えたところで、それはそれでしかない。目的と手段とかさ、伝える目的の手段が作品とは限らないし、私は伝わってくれたら嬉しいけれど、土台は自分が思索したい思考を整理したいで文章を書いているから、どこが目的で手段かなんか曖昧だし。誰のためだと錯覚していた?

あーなんかだらだら書いてたらどんどん私情まみれになってるな、定義とかもうめんどくせえ。

少し前にちょっとしたことで荒れて、みんなやってることは自慰だ、自慰の何が悪い、みんな自慰で生きてるんだなんだと騒いだけれど、裏を返せばそのくらい普遍的に色んな人が何かを作ったり考えたりしているということで、それを人様に見せることだって、あるでしょうよ。今日ではそれがかなりやりやすくなってるし、確かにこんなもの誰の何にもならないだろうと思えるようなものも沢山ある気がする。でも本当に誰の何にもならないかはわからんし、多分何よりそれを作った人には何にもならないことではない。それを、批評することもまた自由だけど、正直適当なこと言われたら「何しようとお前に何か言われたないわ」と思う。そう思うのも自由でしょうし。自由とかまた面倒臭いワードを出してしまった、やめよう。


今更ながら最初のおじさんの方に戻ってみて、曰く、歴史学にはまだナンボか意味がある、とのこと。なぜ意味があると言われたのか、3年講義を受けて、2年ゼミに所属して、私はわからなかった。美術史だからじゃないと思う、戦争の歴史にしても正味そんなに変わらないと思う。社会貢献度的には美術の史学が下で戦争の史学が上っぽいふうに感じるかもしれないけど、そんなもの、立場によって大きく変わるし、どちこちない。実際に研究職に就いている人は何も変わらないと思う。興味を突き進めた結果、社会に還元できる意味のようなものに行き当たった、みたいな。逆に言うと何も突き詰められないままぼんやり興味のあるところを探り探りしただけの、私の研究テーマなんかESに書いてて自分でも訳わからなくなる。コレに「意味」とは、はて。


自分の中でとっくに非言語の状態ででも答えがあることを議論のていで喋るの、最高にオナニーだと思うしそろそろ興がさめてきた。なので超適当に超上から目線でまとめると、生産性や定義のわからない「意味」とかいう尺度で生きていたら、何が1番ってさ、自分の人生が燃やしても燃やせないようなどうしようもない特大不燃ゴミと化してしまってしんどいでしょうに。っていう。

だからこそなのか、私は意味がなさそうなことに惹かれてしまうところがある。こんだけ考えてきて結局それかよ、という感じ。今、感情論を振り回して砲丸投げした気分です。

そう言えば小さい頃「無意味良品」という番組に偶然遭遇して、すごく気に入ってた。オシャレで素敵な番組だったんだけど、本当に無意味そうな(ビレバンにありそうな)商品を紹介するという内容で、未だにその商品たちを覚えてる。兎に噛まれたように見えるぬいぐるみとか。もの凄くワクワクした。無意味なのに。無意味だから。ムイミって音がかわいいし。

なんか、ハナっから意味がないと思ってる方が気楽でいいじゃんね。実際はそこに知らない間に意味的な何かが付随してきて気楽でもなくなったりするけど。でも、それはまた別のお話。


とにかくさ、自分のオナニーをさ、恥ずかしがっちゃいけないよ、賢者タイム込みで生きていくしかないけど、でもそれが人間だもの。私のこの文章もまたそう。売られた油を喧嘩とわざと曲解してひとりシコシコ文章こさえてるんだからしょうがない、まったく。

まあおじさんの場合こうやって若い兄ちゃん姉ちゃんに偉そうな顔して絡むのがオナニーなんだよなぁ、、。人のセックスを笑うな、もとい人のオナニーを笑うな精神を掲げる私がそれを蔑むのはいささか矛盾が過ぎるが、私は「勝訴」をバーンするばりに矛盾も「そうだよ矛盾だらけだよ!」ってバーンして生きていきたいので

今回は「かわいそうなおじさん」で完